癌と暮らす日々あれこれ

ステージ4を楽に生きる幸せレシピ♬

乳がんは哀しみの病?女性性を愛でよう!

 

こんにちは。

おりょー♪ でございます。

 

いつも遊びに来て下さり有難うございます。

今日も元気です。

 

でもねー。

 

午前中だるっ!!!!!

ホルモン剤(レトロゾール)服用二ヶ月目に突入し、少しパターンが見えて来ました。

午前中は頭が重くフラついて安定しない、眩暈みたいに感じるー。そして、夕方からメキメキ元気が出て、夜が最も元気に活動できる!これ、新しい私だ!!!夜行性になったのかも!?

 

 

この先は<私のひとつの体験>としてお読み頂ければと思います・・・

十人十色ですもんね!

 

私は、乳がんサバイバーもうすぐ11年生です。

これまで、あれこれと本を読み漁り、あちこちで情報を仕入れて来ました。自分が欲しいものだけ頭に詰め込んで来たので、今となっては参考図書や情報源を提示できなくて申し訳ないのですが・・・

 

乳がんは哀しみの病

 

と言われているのは、ご存知ですか???

漢方医学で使われる陰陽論では、胸に現れる癌は「哀しみ」の感情が作ったものと言われるそうです。肺がん、乳がんが該当します。

 

※追記!

アップした後にブログ友、

「だるころ」(だぁ~るまさんがこぉ~ろんだ♪)

だるころさんから専門家としての貴重なご意見を頂戴いたしました。有難うございます!

実際の陰陽(五行)論による解釈とは少し異なるらしい!!!是非、ずーっと下の方にあるコメント欄、だるころさんのコメントをご参照下さいませ。

 

以前ご紹介した本の筆者さんも肺がんを患っていらっしゃいました。

 

【本のご紹介記事はこちらです・・・】

gantokurasu.hatenablog.com

 

筆者さんは、お父様への怒りの感情を抱えていると自覚されていたのだけど、実は、怒りの裏側に本命が潜んでいました。お父さんに「認めて貰えなかった哀しみ」です。

痛いので封印し、無いものとして来た「哀しみ」を、癌治療の道すがら、お父様に伝えるという勇気ある試みをされています。認めて欲しかった!哀しかった!と感情を解放することで手放す(棄てる)作業です。(因みに、怒りは肝臓に出るそうです)

 

凄く腹落ちしたのですよ。 

しかも、私は両側乳がん、更に両肺転移です。

 

どんだけ哀しいんだ!?

 

この本には、乳がんのことは書かれていませんが、哀しみの感情に加えて、乳がんには「女性性の否定」という看過できない大問題があります。何らかの理由で、女性であることを拒絶するということですね。顕在化され自覚があるかもしれないし、全く無自覚の無意識レベルに潜んでいるかもしれません。

(私は潜在意識に封印され、掘り起こさないと出て来ませんでした)

 

先日の記事の中で、自身を振り返り「自分を苦しめるネガティブなルール」が見つかったことを書きました。

 

【こちらの記事です・・・】

gantokurasu.hatenablog.com

 

 

妻として母として女性として

幸福な人生を送れない!

 

私が自ら作ったルールです。

 

まさに!女性性の否定です!

 

「それを証明するために乳がんを選んだ」

というのが本当の私からのメッセージです。

 

実は、私、小学校に上がるくらいまで男の子として育てられたんです。

どうしても男の子が欲しかった母にとって三姉妹の末っ子は最後の望みでした。しかも姉達と異なり、力強い産声を上げ、元気いっぱいに生まれたそうで、今度こそ男の子!と疑わなかったそうです。そりゃもう相当の落胆だったとか。

そもそも母自身が「女性は不幸」という思い込みを抱えている人なので「男であるべき!」「幸せ=男」などと信じていたのかもしれませんね。

おまけに、お産に立ち会うどころか、雀荘に遊びに行っちゃった昭和な父なんて「ちぇ、また女か!」と吐き捨てたそうですよ!!!

 

親を落胆させる

がっかりな子

残念な子

 

として、この人生をスタートした訳です。

ただ女であっただけなのに・・・

しかも、そういうエピソードを子どもの頃から繰り返し聞かされ育ったのですからね。

そりゃ「女じゃ不幸!」という思い込みが作られるのも無理ありません。

更には存在そのものまで否定し「自分は価値のない人間」という、もう一つの思い込みも、ここから芽生え、いずれも強い信念となりました。

 

子どもはピュアです。親に捨てられたら生きて行けないので必死に従います。私には男の子になるしか道はなかったのです。

 

オスカルかよ!

ムーランかよ!

 

いやいや、あんな風に素敵だったら、まだ救われたのに・・・

頭は刈り上げ、ズボンしか履かせて貰えない、靴だって男の子用の長靴だった。

何処へ行っても「坊や」と呼ばれていた。

 

どうりで、数少ない幼少期の写真を見ると、目が鬼の様に吊り上がっていて、明らかに憤怒の形相!記憶では、何にでも腹を立て、いつもプンスカと不機嫌でした。

 

どれだけロングヘアに憧れたことか・・・

スカートが履きたかった!

ピンク色のサンダルが欲しかった!

フリフリのお洋服が着たかったー!!!

 

お遊戯会では、ロングヘアで可愛らしい女の子が乙姫様に選ばれたけど、私なんて、その横で手を引く蟹ですよ!蟹!!!プンスカと蟹が踊ってるんです!

 

誰も分かっちゃくれない!

 

怒りに隠れた、これが私の「哀しみ」です。

深いです。

 

年中さんの頃には、こんな風に人生は理不尽なのだと諦め始めていました。

卒園式前に、ガキ大将から「お前、男か女かハッキリしろ!」と言われ、傷心し、母に泣きながら訴えたことが転機となりました。

小学校の入学式にスカートを履かせて貰い、ランドセルも赤でした(セーフ!良かったよー!)

あの光景が目に焼き付いています。

有難う!ガキ大将!!!

 

でも・・・

「女性性の否定」という根っこは、すくすくと頑強に育っていたみたい。

 

それは、学生時代よりも社会人になってから顕著に発揮される様になりました。

男性と肩を並べて働く!という事に、闘志が湧くんです。父への対抗心かもしれませんね。

営業畑とか、司会業とか、研修業界とか、女性でも男性と闘える世界に身を投じる傾向がありました。

常にパンツスーツで・・・

スーツって、原型は兵士の戦闘服だって、ご存知でした?男性性の象徴ではありませんか!!!

交感神経フル回転、乳がんが育つ訳です!

 

【交感神経と乳がんのお話・・・】

gantokurasu.hatenablog.com

gantokurasu.hatenablog.com

gantokurasu.hatenablog.com

 

 

だから、結婚してからも「夫(男)に養って貰うなんてイヤ!」と躍起になり、娘が生まれ、身動きが取れないのに、自立したくて心身のバランスを崩しましたねー。

 

もっと調子が狂ったのは日本に帰って来てから、幼稚園ママの華やかな(?)世界に入った時です。

巻き髪、流行りのお洋服にバッグと靴を合わせて、お洒落ランチ!?!?

無理むりー、えらい苦労しました。

 

そして再び、

男性と肩が並ぶ世界へ戻り、

シャカリキに働く・・・

そして、

病に伏せる・・・(←今ココ!)

 

そうそう、三姉妹ですが、長女は筋腫のため子宮を丸ごと切除しているし、次女も乳がんです。きっと女性として、同じ根っこで苦しみを抱えていたに違いありません。くーっ、あまりにも健気で泣けて来ます。

 

 

もーいい・・

女っぺー私で行くわ!

 

女性性を認めよう!

愛でよう!

ちゃんと自分の意志で・・・

 

女性で良かった!

だって母になれたんだもの!!!

この上ない幸せなのです。

有難うございます!!!

 

今日も読んで下さり有難うございます。

どうぞ素敵な時間を過ごされます様に。

 

<今日の写心>

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庭の薔薇です・・・嘘です!!!

そんな風に言ってみたいけど、私は花を育てることができない杜撰な人で、よそ様の素晴らしい偉業を愉しませて頂いております。有難うございます。

アロマセラピストの友人に薦められ、乳がんになってからはローズの香りを取り入れる様になりました。ささやかな自分への祝福です。

 

住んでます 

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