もっと一緒に居たかった・・・はエゴだった
こんにちは。
おりょー♪ でございます。
やらねばならぬ事を片付け、会うべき人と会い、どうやら夫も正気(?)を取り戻し、娘も一応それなりに元気になって来ました。
ひと通り私のお役目は終わったかな?と安堵しています。
人をひとり送り出すというのは大変な事なのですね。
この年まで体験せずに来られたなんて、本当に恵まれています。
私の両親は、還暦の頃に始めたウォーキング(散歩)を今も毎日欠かさず、ストイックに身体のメンテナンスをして来たので、幸いなことに健康そのもの。
お陰様です。とても有難いことです。
いつか哀しいお別れが来るなんて、今までは考えられませんでしたが、今回のことで想像ができる様になりました。
とてつもなく深い哀しみと、大きな喪失感が襲って来るものですね・・・
もっとやりたい事があったはずだ
もっと生きたかったはずだ
もっと話したかった
もっと一緒に居たかった
もっと、もっともっと・・・
って、そりゃ、こっちの都合だろ!!!
もっと生きたかっただろうね!と信じたいのは私達なのかもしれない。
残された人間の エゴ だった、と家族と話していて気づいてしまいました。
だから
もっとたくさん話をしよう
もっとたくさん一緒の時間を過ごそう
もっとたくさん有難うと伝えよう
まもなく帰るよ!
待っててねーーー。
<今日の写心> 最愛なる義母を想い見上げた空・・・また会おうね!
今日も読んで下さり有難うございます。
はじめてみました