癌と暮らす日々あれこれ

ステージ4を楽に生きる幸せレシピ♬

ありがとう!忘れないよ。

 

こんにちは。

おりょー♪ でございます。

 

いつも遊びに来て下さり有難うございます。

お陰様で今日も元気です。

 

前回の記事への応援、有難うございます!

もう、泣くよ、皆様、ほんとに優しくて。

 

人って温かいね。

 

みんなも、いろいろ抱えて生きてるんだね!

それを知るにつけ、胸がいっぱいになります。

私も、みんなを応援してます!!!

 

そして今日は、あれから、10年、、、

もう10年?って感じたのだけど、長い10年を、やっとの思いで送られた方々もいらっしゃるんですよね。

 

午後2時46分に防災アナウンスが流れました。

人の命は儚いものだと思い知らされたし、不自由なく暮らせる日常なんて脆いもんなんだ!と痛感しました。

 

生きてるんじゃなくて、

たまたま、生かされてるんだ!

 

ということに、身が引き締まる思いです。

 

あの日、夫はちょうどアメリカ出張中でした。

地震直後、夫からの電話だけ着信できたんですよね。海外からの電話は優先的に繋げてくれたのでしょうかね?

同僚たちと食事に出かけていて、テレビのニュース速報で衝撃的な映像が流れたそうです。

 

私は渋滞で帰宅できず、娘をママ友にお願いし、友人のオフィスに泊まらせて貰いました。

娘も私も安心安全に一夜を過ごす事ができ、恵まれていました。本当に有難かったです。

 

当時、私達が住んでいた地域は液状化で深刻なダメージを受け、街並みも一変してしまいました。水も電気もガスも止まり、スーパーで買える物もなくなってしまったので心細くなり、そのまま娘と実家に身を寄せました。

 

その二日後、夫を迎えに成田空港に行ったのですが、ちょうど台湾とドイツからのレスキュー隊が大勢さん、待機していたところに遭遇しました。お利口そうなシェパード犬たちも。

 

すぐに駆けつけてくれたんだ!

と胸がジーンと熱くなり、思わず泣きそうになりましたよ。あの光景は忘れることができません。

 

台湾の人達が、カップラーメンを山ほど運んでいたんです。あれは現地への差し入れなのか?レスキュー隊員たちのご飯なのか?

ともかく、これから過酷な救助に入られるのかと思うと、こりゃ、日本人として何か伝えなくちゃいかん!と逸る気持ちになり、

 

多謝!謝謝!

 

と、へんてこりんな発音で叫んでしまいました。

不要謝って返してくれた様だったから、多分、通じたと思うんだけど、、、

 

笑顔だったのよ!

爽やかな!

 

確か、いの一番に乗り込んでくれたのが台湾部隊だったと記憶しているので、既に彼らは後続部隊だったかもしれませんね。

 

温かいなぁ。

ご恩は忘れません。

 

一週間ほど家族まるごと実家でお世話になった後、夫の会社の計らいで本社への長期出張扱いとなり、三人で一ヶ月アメリカへ。航空券もホテル滞在費もレンタカーも出して貰った上に、ホテルに到着するとフルーツのバスケットが届いていて、、、

Welcome!!!

って、泣けたよ!

なんて懐の深い会社なんだ!

ご恩は忘れません。

 

娘は、現地の小さな学校に受け入れて貰い「ツナミガール」と呼ばれ歓迎されていた様です。

*ごめんなさい、津波被害にも遭っていないのに

 

うちの両親が悲観的なことばかり言い、娘がすっかり怯えてしまったので、遠くに避難させて貰えて本当に助かりました。

 

今日はセンチメンタルな私です。

 

人の温かさ、思い出してます。

支えられて生きていること、忘れません。

有難うございます!!!

 

こうして生かされていることに心から感謝して、精一杯、生きようよね!

幸せに暮らそうね♡

 

えいえい・おー!!!

 

 

<今日の写想>

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ありがとう!忘れないよ。

 

 

最後まで読んで下さり有難うございます。

おりょー♪ は幸せ者でございます。

どうぞ、今日も明日も、たくさんの有難う!に満たされます様に。

 

愛をこめて・・・

 

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