抱えきれないほどの有難う!母の日に想う・・・
こんにちは。
おりょー♪ でございます。
いつも遊びに来て下さり有難うございます。
今日も元気です。
昨日は母の日でしたね。
私達は、みんな母から生まれて来るのだから、神聖なる神秘の日です!!!
母の日は「有難う!」の想いが放つ側から溢れては飽和し、こぼれてしまいます。いくら感謝しても足りないのです。
まず母に伝えます。
生んでくれて有難う!
育ててくれて有難う!
元気でいてくれて有難う!
私は電話が嫌いなので、いつもメールにしちゃうのだけど・・・。
プレゼントはしません。
どうしても気持ちをカタチにしたくて何度も試しましたが、当の母が嫌がるのです。
「お金がもったいない!貯金するか、他で有効に使いなさい!」と。
拒絶されたみたいで、なんだか傷ついちゃうけど、戦火をくぐり、戦後の極貧を生き延びた母ならではの心遣いなのかもしれませんね。
良い子に育ってくれて有難う!
三姉妹は宝物です。
と、86歳の母が返してくれます。
こんな風に言ってくれる様になったのも、この20年くらいのことでしょうか。
それまでは、散々「ダメな子たち」扱いでしたからね・・・あり得ないことが起こるものです。人は歳を追うごとに丸くなるのね。
特筆すべきは、私自身も確執とか葛藤とかを乗り越え、素直に言葉にして感謝できるまでの、長ーーーい道のりがあったという事なのですが、また追々お話しするとして・・・
そして娘に伝えます。
母に選んでくれて有難う!
生まれてくれて有難う!
育ってくれて有難う!
娘のお陰で、私は母という偉大なる役割を授かった訳です。
そもそも「母である」ということが、私にとって、この上ない最上級の幸せでありまして、こんなにも感動と幸せを感じられる仕事は、他に思い当たりません。
恐らく母との苦しい関係性があったからこそ、思い入れ深く、その様に感じるのだと思います。
娘を育てながら自分が癒されて来ました。
母歴としては17年の未熟者ですが、日々に人間力を問われ、試され、我ながら人間としても少しは成長できたと思うよー!
因みに、娘は【お地蔵さん】なんです。いわゆる「生まれる前の記憶」を持つ、生きる覚悟ができた人。魂年齢が高いタイプ(このお話も是非!改めて、ゆっくり聞いて下さいませ)
本当に私をサポートするために生まれて来てくれたのだと、最近は確信いたします。ポンコツ母なもんで、彼女のデカい器なくしては、家族として相当に厳しかったろなーなんて、つくづく思います。
そして娘は、私が母に伝えることと同じことを返してくれます。
ママは私の大切な人だよ!
世界一のママだよ!
と、豪華な「おまけ」を付けてくれます・・・もちろん泣きますとも!
ええ、そりゃもー豪快に!!!
昨夜は娘が上げた「お母さんを祝福しよう!」というSNSに、しばらく会っていない小学校時代のお友達から頂戴したというコメントが、
「私が知っている中でも最高のママだよね!」
・・・もう目の前がナイアガラの瀑布で滲んで、食卓がボヤけてよく見えないし、嗚咽で食事が呑み込めなくなってしまいました。
なんだか報われた気がして、
「頑張って、今日まで生きてて良かった!!!」
と、心から思えたのです。いやはや、本当に大騒ぎな一夜でした・・・
最後に夫にも伝えます。
母にしてくれて有難う!
夫と出逢っていなければ、母になれたかどうかも分かりません。
役割的に感動を独り占めさせて貰うことも多く申し訳ないのだけど、お陰様で素晴らしい体験をしています。
ふり返ると、子宮外妊娠騒動に始まり、妊娠後期のメニエール病、出産直前の義父の病、夫と二人で乗り越えた海外でのお産、頼れる人がいない孤独な子育て、産後鬱、義父の他界に義母の入院、二人目不妊治療と、前半は、まー本当に休む間もなく辛いことが続きました。
精神ギリギリ状態で帰国してからは心が安定し、ようやく母であることを楽しめる余裕ができました(母の庇護の元だったからだね!)
そして夫は、ずっと隣で忍耐強く支えてくれたのですよ。有難いです。
そんな訳で、
四方八方360°ぐるりと回り、
天を仰いで感謝したところで、
ぜんぜん足りません!!!
何度でも言いましょう
有難うございます!!!
母の日は私にとっては感謝に始まり感謝で終わる神聖なる一日であります。
今日も読んで下さり有難うございます。
どうぞ素敵な時間を過ごされます様に。
<今日の写心>
娘の手料理・・・
私が大好きな地中海料理に初チャレンジ!
ギリシャ風サラダ、ピタパン、ひよこ豆のコロッケ。なんと三時間もかけて作ってくれた(泣)
二次発酵中の全粒粉だって。ふっくらまんまる可愛らしい!
ヨシ、私も、どんどん丸くなるぞー!!!