自分で選ぶ、決める勇気を持つ
こんにちは。
おりょー♪ でございます。
医学の進歩が目覚ましく、癌の種類によっては治療法が確立されたものもあり、必ずしも不治の病と恐れる必要はないと言われる様になりました。
例え根治が望めなくても寛解を目指し、上手に共存できる事もあります。
また余命宣告されたにも関わらず予後が良く、長く生きられる場合や、医学的には解明できないが何故か癌が消えた、なんてミラクルケースも耳にしたりします。
一方で成果が上がらず、死に至る場合も依然として多く、実際のところ、まだまだ分からない事が多い不可解な病気というのが現実だと思います。
標準治療と呼ばれる手術、化学療法(抗がん剤)、放射線療法の三大療法に加え、免疫療法や分子標的療法など様々に研究がされ、巷にも民間療法、代替療法などが溢れています。
それだけ私達の癌治療への関心が高い事、なんとか治したいと多くの人が努力や工夫をしている事が分かります。
私の様に早期発見で根治と言われるも再発を繰り返し、9年間も患っていると、時に何を信じて良いのか分からなくなる事が往々にしてあります。
書籍を読めば、様々な説や主張があり、相反した対立する見解が見つかったりして、とても混乱します。
例えば、食事療法のひとつに、搾りたてのにんじんジュースを毎朝飲む事を勧める説もあれば、糖質が高いので好ましくないという説もあります。
そして病人である本人は勿論、家族を始め、周囲の友人や知人までも「なんとか治らないものか」と悩み苦しみ、必死に情報を集めてくれるものです。いつの間にか情報が交錯したり、過多に膨れ上がったりして収集がつかなくなってしまいます。
とても有難い事で、心から感謝するのですが、私の様な優柔不断人間は情報量の多さに途方に暮れてしまう事があります。
また、スーパーで手に入る「〇〇を食べると良い」と言った身近で手軽なものなら良いのですが、「〇〇ジュース」「〇〇オイル」「〇〇サプリ」「〇〇水」といったネットワークビジネスに、お声をかけられる機会も増えます。中には「〇〇機器」なんていう高額のものや、「〇〇法の第一人者のセミナー」と、中には親切心を越えて人の弱みにつけ込んでないか?と疑いたくなる様なものもあるのです。
困ってしまうのは、こちらが懐疑的なのに対し、勧めてくれる相手は、それが良いものと頑なに信じているケース。お断りしたら傷つけやしないかとヒヤヒヤしたりします。
(気を遣っている場合じゃないんだが!)
信じる者は救われると言うけれど、一体、何をどこまで信じたら良いのでしょうかね。
私も過去には「抗がん剤に殺される」と言った過激な主張を信じていた時期がありましたし、某K医師の「癌もどき」論を信じ、自分のは癌もどきだったから切る必要が無かったのでは?と後悔してみたり、定期検査を拒んでいた時期もありました。(でも再発、再再発したのだから、やっぱり癌だったのです)
そこで、今は先人達の英知である西洋医学の標準治療を、迷うことなく第一優先としています。
因みに、アメリカでは抗がん剤は使わなくなっているという主張を時々耳にする事がありますが、現実と異なっていると体感しています。
夫の家族がニューヨークに住んでいますが、癌を患えば抗がん剤を含む三大療法を受けています。家族の友人がニューヨーク大学病院の最先端の癌治療病棟に最近まで勤務していたので、私の治療メニューを確認して貰いますが、治療法は日本と同じです。
横道に逸れましたが、これだけ様々な方法論が存在するのだから〈良いトコ取り〉で良いと思う!というのが私の結論です。
バイキング形式に自分に良さそうなものだけ頂くのです。欲しいものだけ、という訳には行かないので、〈自分に必要なもの〉を本能に従い選択する。
そこで重要なのが、後悔しない治療をするために選択するのだという確信と勇気を持つ事と、選択したら悔いたりしない、他責にしない、という潔さです。
癌は治るも治らないも本人の生命力次第だと言われますが、最終的には自分でしか治せないものなのかもしれませんね。
さて、どれを選ぶ?
今日も読んで下さり有難うございます。
#癌 #標準治療 #食事療法 #治療法 #アメリカ